どんくさい、エレベーター(作 丸野 まる)

  ポーンと軽い音が鳴って、エレベーターのドアが開く。考え事をしているうちに、地下についたようだ。
  私の職場は8階建てのビルの中にある。オフィスは5階で、地下1階と2階は倉庫になっている。
  倉庫に保管されている書類の中に必要なものがあって、今日は地下に来た。地下は「出る」ともっぱらの噂なので、みんな地下には行きたがらない。大抵は私のような一番の下っ端が行くことになる。 
   
  エレベーターのドアが開くと、地下は真っ暗だった。おや、と思い、すぐ脇にある照明のボタンを押す、が、明かりはつかない。非常灯も探したが見当たらない。
  そのうちに、ポーンと音が鳴り、ドアが閉まって真っ暗になった。
  一旦出直そう、そう思ってエレベーターの方に手を伸ばすと、エレベーターのドアとは明らかに異なる感触が手に触れ、とっさに飛び退いた。
   
  
  自分の心臓がばくばくいう音以外、周りからはなんの音もしない。そんな状況にまた一層、緊張が高まる。
   
  私は飛び退いたまま、その場で静かにしていた。ただ、静かに、自分の気持ちを鎮めようとしていた。
  
  暗闇に目が慣れてくると、自分の手に触れたものの正体がわかってきた。
  そこにあったのは、木の扉のようだった。喫茶店や老舗のレストランについていそうな、少しツヤのある古びた木の扉。それについている金属の取っ手が、先程私の手に触れたものだった。
   
  私が扉を見つめていると、扉の周りがぼんやりと明るくなってきた。照明がついたというよりは、扉が光を発しているようだった。
  明るくなった扉には、目線の高さのところに金色の文字で「D6」という表示があった。その文字の意味するところがわからず、しばらく見ていると、
   
「お入んなさい」
   
と声がした。厳しくも、優しくもなさそうな男の声だった。声は扉の向こうから聞こえてくる。
   
「お入んなさい。」
   
  入って良いのだろうか。私が迷っていると、扉がギイとあいて、中から人が出て来た。一瞬、体が緊張した。
   
  中から出てきたのは、おじいさんだった。60歳くらいで、クリーム色のシャツに、えんじ色のベストを着ていた。扉と同じように、古びた服装をしていた。
  おじいさんの表情からは、特に感情は読み取れなかった。口と目を半開きにして、私を頭からつま先まで眺めた。目の動きに合わせておじいさんの首がゆっくりと上下した。
一通り眺め終わると、
   
「いつまで突っ立っとるつもりだね」
   
と言った。とっさに返事ができず、私があぁとかうぅとか言っていると、
   
「おはいんなさい。」
   
ともう一度言った。すべて同じトーンだった。
   
「別にとって食ったりしないよ。ここはあんたに害のあるところじゃない。」
   
  おじいさんはそう言って、ドアの向こうに入っていった。
  私も続いて中に入った。おじいさんの様子から、なんとなく大丈夫そうだと判断したからだ。
  どうやら怖いことは起きないらしいということが分かると、私の緊張は少し解け、そして頭が回り始めた。
  この人は、地下倉庫の管理人さんとか、そういう感じかもしれない、と漠然と思った。
   
  扉の向こうは小さな部屋になっていた。
  棚や引き出しが所狭しと取り付けられていて、そのどれもが雑然としていた。引き出しからは折れ曲がった書類やら紐のはしやらが飛び出していて、棚には曇ったガラスのビンがたくさん並んでいた。天井からは乾燥した植物の束がたくさん吊られていた。
  ぼーっと座っていると、奥からおじいさんが大きなポットとカップを2つ、トレーに乗せて持ってきた。
   
「お飲みなさい」
   
出されたお茶は、私の知っているどのお茶とも違った色をしていた。
   
「毒じゃない、東洋のハーブティーだよ」
   
なかなか飲まない私の気持ちを見透かしたようにおじいさんが言った。
  東洋のハーブティー?と思いながら、カップを見つめているうちに、ここに来るまでのことを、はたと思い出した。
   
「あ、あの、ここって地下一階、で、いいんですよね?」
   
「違うよ」
   
「え」
   
「ここはD6階だよ」
扉にも書いてあっただろう?とおじいさんは言った。火曜日の次に来るのは水曜日だ、と言っているような言い方だった。それで一層、私があくせくして話す様子が際立った。
   
「で、Dて、地下何階のことですか?」
   
「ここは地上でも地下でも無いよ。君みたいに鈍臭いやつがたまに迷い込んでくる、どこでもないところだよ。Dは、“どんくさい”のDだよ。」
   
おじいさんはそう言って、自分のカップから一口お茶を飲んだ。
  
「困ります、早く帰らないと」と言おうとしたが、やめた。思いついた瞬間に、白々しい、と自分で自分に思った。早く帰りたいとも特に思っていなかった。
  どんくさい、という言葉は自分にしっくりきた。
  自分がそう思っていることを実感すると、体からどんどん力が抜けていった。「どうでもいいや」と「どうなっちゃうんだろう」が半分ずつ、という感じだった。
   
「どんくさいやつが焦って急いだって、いい事ないよ。ゆっくりしていきなさい。」
   
そしてもう一度「お飲みなさい」と言ってお茶を示した。
言われるがまま飲むと、不思議な味がした。なぜかホッとする、滋味深さのあるお茶だった。
   
「あ、美味しい。」
   
自然と口から出た。おじいさんは何も言わなかった。
  
  そのあと、2人でゆっくりお茶を飲んだ。おじいさんはカップが空になるたび、お茶をポットから注ぎ足してくれた。
   
長い間、私たちがお茶をすする音だけが、狭くて散らかっていて、温かみのある部屋に響いていた。静かだった。
   
   
   
  結論から言うと、そのあと私はあっけなく元の場所に戻ってきた。
   
  お茶を飲みながらしばらく黙っていると、おじいさんがおもむろに「そろそろ帰れるようになっているはずだ」と言って立ち上がった。
  そして、ドアを開けて振り返り、「お帰んなさい」と言った。
   
  部屋を出るとき、私は何か言わなくちゃと思い、「お茶、美味しかったです。」とだけ言った。
   
おじいさんは扉を閉めながら、
   
「またいつか、抜き打ちで、会うかもね」
  
とだけ、呟いた。
   
え、とおじいさんの顔を見ると、そこにはエレベーターがあった。
  周りはよく知っている地下倉庫で、蛍光灯の明かりも付いていた。なんの効果音もなしに、私は元の世界に戻ってきた。
  
  今ではもう転職して、あのエレベーターに乗ることもなくなってしまった。今の職場にもエレベーターはあるが、今のところ「抜き打ち検査」は行われていない。
  
  一度だけ、私と同じように地下でも地上でもないところに行った人に会った。男性で、タクシーの運転手をしていた。彼の場合、行ってしまったのはD6階ではなくZ4階だったそうだ。
   
「小さいおばあさんが部屋にいて、Zは残念のZだと、言われましたよ。」
   
誰が決めているかは知らないが、どうやらアルファベットの由来は適当に決めているようだ。その適当さがおかしくて、少し笑った。適当で、すこし不思議な世界が面白かった。
  
「もう一回、行ってみたいと思いますか?」
   
と聞かれた。
   
「うーん、どうだろう。行きたくも行きたくなくもないな」
   
言いながら、あの時出されたお茶のことを思い出した。東洋のハーブティー。
  あれだけはまた飲みたいかもしれない。そう思いながら、タクシーの外の景色を眺めていた。

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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