無風の時  (作 田澤 恭平)

 時代は残酷だ。

 この草原に吹く風のように、時に強く、勝手気ままだ。

 彼らは風と共に生きてきた。風に導かれるように土地を移動してきた。羊や馬が食べる草を探し求め、山を越え、砂漠を渡った。

 ある部族が治めている土地もあった。部族と部族が土地の権利を巡って争っているところもあった。

 彼らが争いに巻き込まれることもあったが、それに屈することはなかった。

 屈するのではなく、パイプとなることを選んだ。流通である。

 家ごと移動するので、生活を営みつつ、大量の物資を運ぶことが出来る。物流は世界の血液だ。部族同士で争い、血を流す中、彼らは血そのものであることを選んだ。

 彼らが血液ならば、世界が身体なのだろうか。そして、身体を成す食べ物は文明の産物なのだろうか。

 移動し続ける生活に電気が通った。ラジオ、テレビが置かれた。一昔は星明りと焚火で書物を読んでいたが、今は蛍光灯の下でインターネットを見ている。

 自然が季節によって姿かたちを変えていくことを受け入れてきた。街へ出て、自然にはないビルが乱立していくのも人の流れだと肯んじてきた。

 人も、自然も、破壊と再生を繰り返すものだと教えられてきたからだ。

 流行りには流されない。時代には乗る。血液たる彼らの矜持である。

 ある夫婦が戻ってきた。

 女の手には白い衣に包まれた赤ん坊があった。

 夫婦の間には長い間子どもに恵まれなかった為、彼らは我がことのように喜んだ。

 他の部族と変わらず、彼らにとっても、子どもは宝なのだ。

 酒が振る舞われた。羊を潰し、様々な料理が作られた。食卓は果物や肉料理などが並べられ、色彩豊かになった。

 夫婦は歓待を受け、赤ん坊には星々の煌めきが降り注いだ。彼らは歌い、踊った。焚き火に映る顔は焚き火にも星々にも負けない明るさがあった。

 年配の女性が夫婦に話しかけた。あんなに子宝に恵まれなかったのに、恵まれて良かった。いったいなにをしたのか。

 彼女は応えた。子は文明のおかげで生まれました。子は試験管ベイビーなのです。

 時が止まった。

 年配の女性がゆっくりと時を動かし始める。それは自然に反する。子は忌むべき存在だ。

 色彩豊かだった場が夜の闇に取り込まれて行く。

 彼女は反論する。子は私と彼の子であり、私は子のことを誇りに思う。

 自分の腹を痛めもせず、血も流さずに生まれた子が他と同じであるはずがない。自然に対する侮辱だ。忌み子を家族として受け入れることは出来ない。

 草原を吹き抜ける風は止んだ。

 口々に何かを叫んでいる。罵声、泣き声、神に祈る声、仲裁しようとする声。

 夜の闇が別な暗いものへと変容していく。

 老人が手を挙げた。

 ゆっくりと時が止まる。

 自然と共に生きてきた我々にとって、このことを受け入れ難いのは確かだ。だが、今までどれだけのものを受け入れ、物資を運んできた? 文明を享受してきたではないか。星に明日を尋ねることをことを止め、インターネットに答えを求めているではないか。何が自然で何が文明なのだ? そこにおる子は生命かテレビか?

 老人は口を閉じ、空を見上げた。

 彼らの目は闇ではなく、白い衣を見つめていた。 

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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