七月の神話 (坂尾菜里)

 巨大な女が月を齧っている。パリパリ、と小気味好い音が深夜の住宅街に鳴り響く。


(絵:よしおかあやの)


 わたしはテレビ台の横に置いた、護身用のカッターナイフをポケットへ忍ばせる。こんな小さな物では自分の身は守れないという確証があるにも関わらず。玄関でクロックスを履いて、いつもの公園へ走って向かう。この瞬間がここ最近の楽しみである。

 彼女と初めて会ったのは――会ったと言っても、彼女にその認識があるかどうかは分からない――1週間ほど前の満月の夜であった。その日彼女は満月を手にとって大きなペロペロキャンディのように舐めていた。

 誰もいない公園に着いたわたしはいつものようにブランコに乗った。少しずつわたしはブランコの高度を上げていく。風が気持ちいい。

 女は月を二口齧って、ふう、と息を吐いた。生暖かい風があたりの木々を揺らす。それから女は一等星だけが光る黒いスープを手ですくって飲んだ。女が手をつけた箇所の一等星は跡形もなくなり、本当に真っ黒な空間が広がっていた。女はもう一度満足そうに息を吐く。甘いような、酸っぱいような匂いがした。

「ねえ」

 わたしは出来る限り大きな声で女を呼んだ。

  彼女の切長の目がこちらを向く。

 わたしはポケットの中にあるカッターナイフに触れる。片腕は錆びた鎖を掴んでいて、両脚は一定のリズムで空を切る。

「わたしにもちょうだい」

 女の目が細くなる。女の手が、青白い光を掴む。女はその光をこちらへ差し出そうとして、少し笑ってその手を止める。ベガまでは約25光年。

 脚を動かすのをやめる。

 女の匂いのする風が吹く。黒々とした葉がざわざわと音を立てる。遠くの方から犬の鳴き声。背骨がゆっくりと溶けていく。

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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