ポスト vol.9 【了】(坂尾菜里)

 

  何かにつまずいて派手に転んだ。手に持っていた折り畳み傘は泥水に少しだけ浸かっている。手の平が痛い。昼過ぎから降り出した雨は夜が近づくにつれ、勢いを増して、今では周囲の音を消してしまうほど強く大地を叩いている。

 傘を拾って立ち上がる。持ち手から泥水が伝わり、腕を伝わっていく。砂利の混ざったその水が気持ち悪く、私は傘を閉じた。ここまで濡れてしまえばどうでもよかった。地面に強打した膝が痛む。

 何につまずいたのか知りたくて振り返ると地面に誰かのスニーカーが転がっていた。履き古したその靴は雨に濡れて靴としてのやる気を失っていた。私はそれを人差し指と親指で摘まんで道の端へ寄せた。薄汚れたNの文字が目につく。

 雨に打たれるのは何年振りだろう。どこかが痛くなるほどの勢いで転んだのは何年ぶりだろう。

 べしゃべしゃと音を立てながら、帰路を行く。たまに大きな水たまりを避けずに踏んだ。靴の中の冷たい水が私の36.5°の体温によって温められていく。手の平と膝が痛む。仰々しいLEDの街灯の下で手の平を見ると、赤い液体が次々と降る水によって指先へ流れていた。酸化していない血液を見るのも久しぶりであった。私は手の平に舌の先を伸ばす。温かな舌は冷えた手の平の表面を弛緩させる。ばたばたと屋根を叩く音がやけに耳につく。目の前の泥水をつま先で蹴る。身体の芯だけが熱く、放射状に伸びる意識はしんとしていた。

 靴の中の温かい水を感じながら、白々しい明かりから離れていく。

 雨は止みそうにない。


                                      (了)

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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