接続詩。 


こんにちわ。


変な人の青剣です。 


わたしがこれからする「シゴト」は、 方々に【接続詩】を作ること。 


ただそれだけです。  


このエントリは、 

接続詞ならぬ【接続詩】とは何かについて説明しつつ、 

その幸せな過酷業務について母親的な視点でまとめます。 




【詩とは何か?】 


そもそも、 

詩とは何か、 

について定義が必要だと思います。 


 人々のココロを動かすコトバたち。 


 と、言っておくことにしましょう。 




 【詩はどこに行ったか?】 


悲しいかな、 

詩はコトバという残骸だけを残して、 

その魂はどこか別の身体を求めて旅立ってしまった。 


というのが、 私、青剣の見方です。  


(私以外に文学の大先輩たちはそうおっしゃられておりますが。)  


主にそれは、 

型を持たない、 

自由詩たちのことです。 


自由奔放に書くことを良しとした、 

自由詩たちがもっともフィーバーしていたのは、 

戦後の60年代の頃でしょう。 


憂いに満ちた、 

あるいは青春賛歌に満ちた、 

そんなコトバたちをマシンガンのごとく撃ち放ったとしても、 

その時代の風潮というものがそれらを受け止めてくれていたのです。 


そのような時代が去り、 

自由詩を詩としてたらしめる、 

器としてのからだは見事に消えました。 


ただし、 短詩系文学の俳句や短歌は、 

575(77)という型を持つことで、 

流行りや廃れることからはちょっと距離を保ってきました。 


つまり、古風や趣深いなどという、からだに今尚守られています。 


ただし、短歌の魂はLINEのスタンプに生まれ変わりましたが。 


(詳しくはLINEのスタンプに生まれ変わった恋文としての短歌たちを参照ください) 



私が問いたいのは、

全盛期時代の詩の魂たちはどこへと行ってしまったのか?

ということです。 


わたしは、彼らをちょっと、探してみたいと思います。 





 【コトバたちは常に浮気以上の乱交を求めている】 


浮気とか。 

乱交とか。 


見出しに、すごい、言葉を並べてしまいましたね。  


コトバたちは常にコトバとの出会いを求めています。  


試しに、 

一つのコトバを紙に書き、 

しばらくそのコトバをぼんやりと眺めてみることを想像してください。 


そのコトバから、 

方々へと連想する、 

コトバが導き出されてくるはずです。 


例えば、レモン、でやりましょうか。  


黄色。酸っぱい。果物。スカッシュ。揚げ物。紅茶。梶井基次郎。などなど。  


そのコトバからこんな具合に様々なコトバたちが導かれてゆきます。 


ただ、 

紐づいたコトバとコトバたちは、 

いわゆる【紐疲れ】という慢性的な倦怠感が備わっています。  


つまり新鮮さ、というものが、そこにはないのです。 


コトバたちというのは、 

貞淑な乙女や操を守る良妻では、 

決してありません。 


きっかけがあれば、 

フランスの貴族の夫人が簡単に若い男たちを金で買うように、 

新たなコトバたちとのアバンチュールを行います。 





 【整理整頓された机と散らかった机】 


わたしはよく、 

テーブルの上や棚を整理整頓しては、 

また少しだけ散らかしたりします。 


最近では、 

床にブックスタンドを立てて、 

あえて本たちを足元におくようなインテリアデザインなどをしました。 


理由は、 

本たちをいつもおはすところから、 

ちょっと違うところに旅させてあげたかったのです。  


そうすることで、 

生まれる変化を、 

本たちに味わってもらいたかったのです。  


それによって、 

自分にもたらされる、 

ギフトをキャッチしたかったのです。 


ある有名なイラストレーターさんは、 

テーブルが綺麗に整理されていると、 

仕事ができないという発言をしていました。 


なるほどな〜と思いました。 


雑多に置かれたモノたちが、 

それとなく対話しあえる空間を、 

作る必要があるのだと思います。 


作り手も、 

作るきっかけのようなもの、 

わかりやすく言えば神様からのお題が欲しいのです。 





 【つながりの中に生まれる新たな味】  


ここまで書けば、 

勘の良い皆様なら、 

もうお判りかと思います。 


最初の方で、 

詩はどこに行ったのか、 

という問いに対してはこう答えます。 


すでにあるコトバたちの海の中から、 

今までにないコトバとコトバの組み合わせを作り、 

そこに新たな「価値」と「意味づけ」と「味わい」という三つを施すことによって「詩」が姿をあらわにします。 


つまり、失われたはずの「詩」が蘇るというわけです。  


ここで生まれ変わった詩は、本の中に住まう、詩だけのことではありません。  


新たな文化や運動や理念を導き出す、それそのものにちゃんとした命があるものたちのことです。 


わたしはそれらのものを【接続詩】と総称しています。 


新しいものが生まれるときは【接続詩】が常にベースにあります。 



 【コトバたちは新たなつながりを作ってくれる人を求めている。】  


コトバたちは、 

【接続詩】を、 

生み出してくれる人を求めています。 


つまり、 

接続詩を作れる人の元に、 

新たな出会いを求めるコトバたちが吸い寄せられてゆきます。  


そして、 それらの接続詩は、 

自分たちで旅立てるところまでの、 

お膳立てをも求めています。  


作ったはいいけど、 

それが一人歩きできるまでは、 

かなり大変です。 


赤ん坊を産んで、 

「はい終わり」 なんて、

母親はいないと思います。 


産んだからには育てる。 


それを繰り返してゆくだけ。


❇︎


わたしのシゴトは方々に「接続詩」を作ること。 


 本当にそれだけです。 


 言うは易し、行うは難しな、シゴトです。 


 とほほ。   


                      

変な人 青剣  

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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