蛇をネクタイに   (作 せいけん)



今では、誰もがネクタイの代わりに、蛇を首に巻いている。

そしていて蛇たちが、人々の暮らしを導いていた。 


(絵 せいけん)


 ✳ 


モノづくりの時代から一転して、

人類はあるものをどう活かしてゆくかに目を向ける中で、

生き物までもがその対象となった。


中でも一際目立ったのが、

生きた蛇をネクタイ代わりに首に巻いてしまおう、

というモノだ。 


最初のうち、

さすがにそれはいかがなものかという批判が相次いだのだが、

人類の慣れという受容力は凄まじいものである。


一度ネクタイを蛇に代えて過ごす内にそのフィット感が半端なく、

手放すことが出来なくなってしまった。 


そして、人類は気づいてしまうのである。  


今までのネクタイは、

目に見えぬ大きな権力として、

人類の自由を拘束する象徴であったということに。 


そのような脱権力社会に向けて、

「蛇をネクタイに」というデモ運動が国内のみならず、

世界中の至るところで勃発した。 


やがてそれは一介のブームを越え、

世界中の人々が手を取りあってフォークダンスを踊るかのような地球規模の革命となり、

人類は蛇を首に巻きつけることである種の完全なとも言える自由を手にしたのである。 


しかし、

完全な自由を手に入れた人類が最終的に得たものは、

不自由という名の牢獄であった。 


というのも。  


蛇たちは、

人々と暮らす内に、

人類の歴史がこれまで培ってきた知恵をものの見事に吸収した。


自ら考え、考えたことをコトバにして、表現するまでになった。 


つまり、

蛇たちは人以上に人の心の奥深くに入り込み、

いつしか人々の脳となったのである。


そして蛇たちは、人類の仕事をこなし、人々は考えることをやめた。  


考えることをやめた人々は、

目に見えぬ牢獄に身をおいて、

そこから出なくなった。  


なぜなら、

人々は考えることで不自由な中から飛び出して、

小さな自由を見つけ出してきたからである。  


そしてそこに、

生きる、

という姿を見出してきたはずであった。 


たとえ、首輪のごとく、ネクタイを締めていたとしても・・・。 


 ✳ 


蛇たちが人類の主人となったとき、

最初に手がけたのは人々のネクタイを祀る祭壇を、

町のいたるところに建設することであった。 


人類を支配していた目に見えぬその力に対して蛇たちは畏敬の念を抱いていた。 


だから蛇たちは、ネクタイを崇めることを、決して怠ることはなかった。 


人類の過ちから同じ轍を踏むまいと思ったのである。   

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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