「今日、あなた変じゃない?」
芝生の上で、僕は文絵に膝枕をしていた。
土曜日の昼前、僕らのようにピクニックする人はなく、犬の散歩をする何人かの住人がいるだけだった。
「ねえ、聞こえてる。」
僕は文絵を見下ろした。
彼女の頰に芝生の先がちょこんと触れていた。
「うん。」
僕はそれを指先で払った。
「何か、あったの?今朝からぼんやりしているみたいだけど。もしかして怒っているわけじゃないよね?」
「え。」
「昨日のこと。」
「ああ。」
僕は昨夜のことを思い出した。
「全然、怒ってなんかいないよ。」
「じゃ、良かった。私も、怒ってないから。」
「知っている。ありがとう。」
文絵は、少しむすっとして、顔を横に向けた。
ともすると、からだの向きを変えたかった、だけかもしれない。
「ねぇ。」
「うん。」
「眠くないの?」
「うん。全然、眠くないんだ。」
「昨日、寝たの?」
「そうなんだ。珍しく、ぐっすり。ただ、眠くないけど、今も、寝ているような感じがするな。」
「何それ?」
「ぼんやりしている感じかな。」
「確かにぼんやりしているね。」
「なんか、ピクニックを許されたのが、僕たちだけのような気がする。」
「そう言いたい、わけじゃないよね?」
「もちろん。」
文絵は少ししてから、
「そうかもね。そう思うわ。」
と、芝生につぶやいた。
僕は、昨夜の眠りから覚めてゆく、そんな気分になった。
「昨日、夢を見たんだ。」
「いつも、見ているじゃない。」
「でも、いつも見る夢とは、違う。少なくとも、その夢は、欠片じゃなかった。」
「つまり?」
「ほら夢って、起きたときに忘れてしまうものがほとんどじゃん。ポケットの鍵を気づかぬうちに落としてしまうように。それでも、なんかのきっかけで思い出すけど、断片過ぎてまた記憶の彼方へ消えてしまう。」
「聞かせて。」
「うん。」
昨夜見た夢を語ることにした。
「覚えているかな?以前、一人の少年が来た話?」
「女の子が来ることを伝えに来た子?」
「そうそう。その続きを夢に見た。」
「ちょっと待って。それって夢じゃなくて、あなたがふと書いたもの、じゃなくて、何かに書かされたようなものだと言わなかったけ?」
「そうだね。だから、少年がまた来たとき、最初は夢じゃないと思っていたんだ。」
「どっちなの?」
「わからない。でも、もうどちらでもいい。」
「まぁ、いいけど。それで?」
「その子が、一緒に出かけようと僕を誘うから、僕たちは夜空を飛んで小学校のグランドに向かった。」
「あなたも飛べるんだ。」
「その子のおかげでね。」
「ふ〜ん。」
「グランドに着くと、一人の女の子がいた。その子は僕らに彼女の暮らす町で開かれる『クジラの解体ショー』の話をした。『ソレ』は世界の終わりと始まりを意味していて、その場に居あわせてしまった者たちは、その町から離れて別の町へと旅立たなければならない。彼女もそのせいで夜の町へとやって来たんだ。」
「なんで、クジラの解体ショーで、そうなるの?」
「その子の話を聞くと。クジラのお腹を割くと、言葉がたくさん溢れだして、そこにいるみんなを飲み込んでしまうんだ。そして、自分たちもそのうちの言葉だということに気づき、その言葉たちと共に旅に出て、新たな世界を形作るんだと思う。だから、世界の終わりと始まり、なんだろうね。今までのカレラが終わり、新しい別のカレラに生まれ変わる。多分ね。」
「りんごがアップルパイになるようなこと?」
「そうだね。そしてアップルパイを食べた人が、甘いと感じて、少し満足する。その満足感がちょっとした幸福な気持ちを呼び寄せる。だから、『りんご』は『幸福な気持ち』に生まれ変わる。」
「それなら何にでもなれちゃうわね。」
「言葉、だもん。」
「そうね。それで終わり?」
「ううん。その子の話が終わると、二人が僕に何が出来るのか尋ねた。僕はしばらく迷ってからこう告げた。」
「私のヒモになることが出来る、とか?」
「ははは、そうだね。そんな風に答えても良かったね。」
「冗談よ。で、何て答えたの?」
「デパーゼ」
「デパーゼ?」
「うん。」
「何それ?」
「僕は、呪文を唱えていたことがあった、子供の頃。」
「そんなことしていたの?」
「うん。そのうちの一つが『デパーゼ』だった。」
「どんな呪文?」
「意味なくつぶやいていたんだ。でも。」
「でも?」
「世界を変えるための呪文だと、なんとなく、思っていた。」
文絵は、しばし口を閉ざした。
そして僕を見上げて、
「で。どうなったの?」
と、聞く。
「どうなったと思う?」
「知るわけないでしょう。」
「そうだね。じゃ、ヒント。クジラ。」
「クジラ?」
「グランドに描かれたクジラさ。」
「あれ?」
「うん。」
「・・・、わからない。」
「クジラがグランドから姿を現したんだ。」
「へぇ。」
「それで僕らをのせて夜空を飛び出した。」
「何でもありね。」
「すると、クジラが自分のお腹を開いてたくさんの言葉を降らしていったんだ。」
「女の子の話とかぶるんだ。」
「うん。」
「それで?」
「そのクジラは、最後に夜空を食い破ったんだ。」
「何それ。」
「で、そこから光が夜の町にあふれた。そして、」
「そして?」
「僕らはその光の向こうへと導かれていった。そこで、夢から覚めた。」
文絵はまたしばし口を閉ざした。
彼女はむっくりと起き上がると、
「面白いと思うわ、それ。」
と
答えた。
「え。」
僕は少し驚いた。
なぜなら彼女は滅多に褒めない。
そしてさらにこう言った。
「私、その話、好きになった。」
僕は、校舎の裏で突然告白された男子学生のように、
「あ、あ、ありがとう。」
と、たじろいだ。
「ピクニックに話す最適な、物語、ううん、夢だと思う。」
作 青剣
絵 ヤマネコトリコ
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