身近な毒者より遠い読者へ 


何かを書くとき、 

読者がいないことは、 

まずない。  


なぜなら、 

誰かに見せようとしなくても、 

書いた本人がその場で生まれた言葉を読むから。 


つまり、 自分が、 最初の読者になる。 




こんにちわ。


変な人の青剣です。


【どくしゃ】について書いてみました。




【読者と毒者】 


何かを書くとき、 

自分という読者から一歩外に出ると、 

最初に出会うのは身近な人々だ。 


つまり、 自分の暮らしの中で出会う顔のある人々。 


僕はそれを、 身近な読者と、 心で呼んでいる。 


身近な読者は、 

何かを書き始める上で、 

とても大切な存在たちである。 


なぜなら、 

彼らの存在が自分に筆を握らせるのだし、 

むしろ、彼らに応えている節だってある。 


彼らに応えることが、 ある意味では、 自分を飛躍させるような気もする。  


ただ、 読者には、 

支持してくれる意味での読者と、 

支持するふりの毒者もいます。 


毒者を、 否定するつもりは、 ありません。 


その違いがあるという認識が大切です。


ことに、 身近なところに、 毒者は多い者です。  


それは社会というものがムラ的な構造を少なからず持っているからです。 


 (いくつか海外で暮らしたのですが国外でも基本は一緒だと感じます)  


書く人たちは、 

時に、身近な毒者に応えすぎて、 

気づかぬうちに毒者の毒にハマることがあると思います。 


毒者の毒がどんなものであるかはご想像にお任せします。



 【遠い読者へ】 


書くことで、 

何よりも書き続ける上で、 

私が大事だと思うのは遠い読者という存在を信じることです。 


遠い読者は、

書き上げたものだけを純粋に読み、 

時に、笑い、泣き、怒り、 賞賛し、反発し、心の中で素直に反応します。 


あるいはそこに、 

教訓的な何かを勝手に感じ取り、 

自己のあり方を変えようとするものもいます。 


見知らぬ誰かが、 

見知らぬあなたの書いたものの上で、 

まるで戯れるかのように踊ります。 


つまり、 

フリをする毒者よりも、 

遠くにいて素直に反応する読者との接続を書き手は大切にするべきだと思います。 


ことに、 顔の見えすぎる中でものを作り上げる人においては、その群から離れることをお勧めします。 





 【どくしゃはどこに?】 


答えは一つ。


自分の心の内にしかいません。


自分の心の深いところで暮らしている自分という読者に出会うことが大切です。


うちなる自分を発掘することで遠い読者へと接続させてくれます。


❇︎


こころの中の自分と会うため、

これから毎夜、からだの中に梯子を下ろそうと思います。 



変な人 青剣

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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