戦うものたちの骨休めとしての、からだ部


このタイトルを出した時、 

もう何も書かなくていいんじゃないかと思うけれど、 

表現する人間についての大事なことにほんのりと重く触れながら書きます。





 書きます。 






骨休めと題して、 

何かしらの活動をすることは、 

なかなか勇気のいることである。  


理由は、 骨休めという言葉に、 やや後ろ向きに捉えられてしまうところがある。 


(もちろんそう思わない人もいる)


たとえば世の、 

ダンス的なワークショップは、(ダンスに限らないかしら?)

成長を促すことや小難しい言葉をちりばめた哲学的なものが多い。  


(殊に、私が居たコンテンポラリーダンスまたはモダンダンスの世界において)  


私は、 

そのようなワークショップを見るたびに、 

装飾だけが施された中身のないものにいつも感じます。 


そして、 

実のところ、 

その多くがどこにも導けていないとも思います。 


 少し、話変わりますね。 



【病める魂】 


表現の世界で必要なのは、 

病める魂、 

です。 


まずそれは、その世界に入る、パスポートのごとく必須です。 


この、 

重度な病める魂を持った者だけが、 

舞台という瞬間で観客とともに再生されます。 


そのような観点からすれば、 

病める者をさらに病めさせる、 

ワークショップは大きな可能性があります。 


しかしそれは、 

そのような命がけの舞台を作る者にとってでよく、 

そのほかの方々においては半端に苦しみを深めるだけでしょう。 


話を戻します。 


ダンスのワークショップには、 

もうひとつの側面があります。  


それはセラピーや、 リラクゼーションや、 ヒーリング的な世界観です。 


その手の部類のダンスは、 

確かに人の病める魂に、 

ある一定の安らぎと充足を与えます。 


しかし、 

その人の持ち合わせた病める魂は、 

外的なものでとりのぞけるものではないと思います。  


なぜならその人自身が、 

その人として表現してゆく上での、

失ってはならない大切な財産だからです。 


意識的にとりのぞこうと思っても、できません。  


本当のあなたが、 

あなた自身をカタチ作る財産を、 

捨てるはずはないでしょう。 


大切なのは、 

そんな自分と、 

ちゃんとお付き合いしてゆくことです。 




 ふ〜。 





病める魂というタイトルでよかったかな。。。  


タイトルに主題はあるので、 

代わりに「からだ部」の位置付けを、 

何かしらのものに見立てて離陸しようかと思います。 


からだ部は


銭湯


かな。 


しかも、混浴の。 


年齢、性別、属性、職業、 

全部バラバラの人たちが、 

利害関係なしにゆったり浸かれる湯船です。 


ただそのお湯は、 

実のところ私たち自身から溢れている、 

「何か」 です。 


 私たちはみんなしてそこで充足して生まれ変わります。 


 世の中、 たくさん、 戦っている人がいます。 


戦うものたちが、 

ひとときここにきて、 

回復して新たな再出発を遂げてくれれば良いと思います。 



                      からだ部 部長 青剣

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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