感情の微分から見えてくるその顔を超えて。 




ものを書くときたまにブレーキがかかる。 


なぜだろう? 


それは技術的なことよりも心理的なものが書き進める手を阻むことが多い。 


つまり、誰かしらの顔が介在する、コト。 


 ❇︎ 


 こんにちは。 


 変な人の青剣です。 


 今日は、書くことへの躊躇いについて、ほんのすこし話そうと思います。 


 ❇ 



 【ブレーキに誰かの顔が介在する】 


何かを書くとき、誰かの顔色を伺うかのようにペンを走らせると、途中から書けなくなることがある。 

するとその人の感情は浄化されない。 

なぜ、 誰かの特定の顔が現れると、 人はその気持ちを書ききることが出来ないのだろうか。 

その言葉が、 その顔の相手を傷つけてしまうから、 お互いの距離を近づけてしまうから、 蓋をしておくべきものが溢れてしまうから、 

理由はたくさんありそう。 

どうすればその顔を超えて書くべき気持ちをカタチに出来るのだろうか? 



 【感情の微分を行う】 


人は意外と、 自分の感情というものに、 鈍感になりがちなところがある。 

たとえば辛いことを、 辛くないと乗り切ることで、 意識的に心の声を無視してゆくように。 

それを繰り返すことで頭と感情はどんどん乖離する。 


するとどうなるか? 


未消化なままの感情がうづ高く溜まって行く。  

そもそも感情というものは過去のさまざまな気持ちが複雑に絡み合った塊である。 

その塊にはさまざまな思い出(記憶)が当然のことながら結びついている。 

それをほぐすために必要となるのが感情を微分し続けて行くことである。 

感情をより分けたり、ほぐしたりすることで、自分の気持ちに整理をつけるのである。  

それをすることで、人は一つ一つにけじめをつけて、書くことで自分を清算してゆくことが出来る。

ただ、コトバで説明したけれど、これはそうそう簡単なことではない。 

自分の気持ちと向き合うことから逃れてきた人にはかなりの辛い荒治療でもある。 

しかし、それをし続けることで、人はあるときその顔を超えることが出来る。 


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 私は自分のうちにある感情をちゃんと微分し続けて日々を生きて行くようにしています。 


 微分しきった感情を、ぽんとお皿に乗せて差し出すことが出来ると、深く呼吸が出来るからです。 


おわり。



変な人 青剣  

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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