正しさはうそ。 



正しさを説くのはうそ。 


正しいことを言う人の大半は、 

いや9割は、 うそついていると思う。 


いや、ついている。 


なぜかと言うと、 

正しさに重きを向けると、 

自分の気持ちをどこかに置き去りにするくせがつきます。 


自分の気持ちを脇に置くことは、 

まずは最もうそをついてはいけない自分に、 

うそをつくことになるのです。  


それを繰り返すと、 

知らず知らずのうちに、 

正しさを信奉すれば許されると言う幻想の罠にハマります。 


(三年間ぐらいは正しさを追求する時期があるのは良いと思います)  


ただし、 


その正しさの慣習から、 

抜け出そうとアクションしないと、 

完全に生ける屍になると私は心のそこから信じます。  


なぜなら、 

正しさと言うのは、 

一つの技術であり、手段であり、道具にすぎません。 


バレエで言えば、 与えられたパでステップを踏めること。 


ピアノで言えば、 譜面通りに弾けること。 


絵画で言えば、 教わった通りに描写できること。  


正しさと言うのは、 

共通普遍の世界基準に、 

アクセスするための一つのパスポートにすぎません。  


が、 

その正しさを身につけると、 

大半の人はそこから抜け出せなくなります。 


なぜなら、 その正しさが、 今の自分を構築していると感じるからです。  


手に入れたものを、 

失いたくないと誰もが思う、 

その気持ちは痛いほどにわかります。 


 が、 そこから、 離れて次にゆかないと成長は止まります。 


そもそも、 

正しさと言う技術を身につけるまでに、 

人はそれなりに努力して苦労して自分のものにして行きました。 


そのプロセスにおいて、 人は成長し、輝いていたのです。 


が、 

一度それを手に入れた、 

と言うことで完成すると、その輝きは終わりです。 


なぜなら、 

輝いていたのは、 

正しさではなく、正しさを追求していたときの、 

自分のうちにあるものだったからです。 


 それに気づかないと、 

「私は正しいから」と、言う嘘を、 

平気でつき続けてゆくまずい人生を送ります。 


ただ、 気づかないで、正しさを説く人は、 

誰かが気づかせるし、自分で気づくから大丈夫だと思います。 


問題なのは、 

正しさを嵩にかけて、 

それをどんどんと押し付けてくる人です。  


自分でも、 おかしいと思いながらも そうすることが止められない人たち。  


(つまり、自分の手に入れた正しさの賞味期限が切れているのに使おうとする人たち) 


そういった正しさを武器にしてしまった人たちは、 

周りの人を傷つけるだけではなく、 本当は自分自身を傷つけ最も苦しめています。 


その正しさが、 

今の自分のカタチに、 

当てはまらなくなっているのに気づきながらも、 

無理にでも押し込めようとするからです。  


そのストレスや反発で、 

他の人たちにも、 

同じ型にはまるよう要求します。 


正しさ、 と言うものは、 

気持ちから発信された後に残る、 

ある種の古代遺跡のようなものに過ぎません。 


長くなりました。 


ひとまず、 


脇に置きませんか? 


その正しさ。 


お茶をいっぱい入れますよ。 


最近、 お茶の入れ方、 実はちょっと勉強してます。 


正しい、 入れ方は、 よくわりませんが。 


まずは、ほっと、一息。 


これを書いた今日は、とても良い天気です。 


おわり。 


                              せいけん         

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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