神様の樹 4 (作 青剣)

 


「さぁ。どうぞ。」  


美術部顧問の長谷部誠はグラスに瓶ビールを注いだ。  

放課後の理科室から桐子を帰してしばらくすると、

イチの帰る頃を見計らっていたかのように長谷部が理科室へとやって来た。 


「おつかれさま。よかったら夕ご飯でもどうですか?」  

と、

誘われたので駅までの途中にある小料理屋へと飲みに行くことにした。  


週末のせいか、店内はお客で混み合っており、

日頃あまり使われていない奥のカウンター席へと案内された。  


適当に、枝豆とだし巻き卵、それにナスの煮浸しと焼き鳥の盛り合わせなどを注文すると、二人はさっそく冷たいビールをそれぞれのグラスに注いで飲み始めたところである。 


「それにしても、すごいですね、カワセさんは。」   


イチは黙ってグラスの底のビールを見つめた。  


長谷部が言おうとしていることは、

イチが教員になって二年目に単独で始めた、

放課後の理科室のことである。 


「それに今日は、うちのアイダのことも受け持ってくれて。」 

「なんだ、知っていたんですか。」 

「アイダが部室に戻ってきたとき、表情が全然違っていて、これはきっと、カワセさんに抱きしめられたな、って。」 

「そういうことですか。じゃ、今日はおごりということで。」 

「そうくるわけ。」

 「だって、ハセベさんが受け持つはずの生徒を、わたしが受け持ったんですよ。」 

「それはそうだけど。生徒が勝手に理科室に行っただけだしなぁ。」 

「冗談です。」 

「ただ、とても感謝しているんです。」  


イチは長谷部の気持ちを理解しながらも、「どうして?」と聞いた。 


「それは、どうも美術部に来る生徒たちと、僕はどう向き合っていいのかわからないんです。教室で、みんなが黙って絵を描いているのが、苦手なんです。だから外でのびのび描いて来いなんて言っているんですけどね。それでも、生徒が美術室にいようものなら、僕が用もなく出ていくみたいな。だからいつも逃げているような気がするんです。生徒たちも敏感だから、僕のそういった気持ちを見抜いているんだと思います。わかるでしょう?」 

「だから、わたしみたいに逃げ方を知らないで、受け止める人をありがたがるってことですね。」 

「なんだか、失礼に感じますか?」 

「いいえ。全然。その通りのことですから。」  


枝豆とだし巻き卵の順で「はい、どうぞ。」と、

カウンターの向こうから差し出される。


イチはそれを受け取ってカウンターのテーブルに置くと、

だし巻き卵に添えられた大根おろしに醤油を数滴垂らした。 




「ビールもう一本。」  


長谷部が追加注文をするついでにイチは「レモンサワー。」を頼んだ。


ビールは最初の一杯で充分だった。  


イチは、だし巻き卵のひと切れを箸で掬って口に入れた。


やわらかな卵の肌が踊るようにして溶けると舌先にほのかな甘みが残った。  


長谷部は「学生の頃、予備校で講師のアルバイトをしていた頃の方が気楽でしたね。」と、枝豆をつまんだ。 


「どうして?」

 「ほら、そこではみんな、はっきりしているから。予備校だと、受かるための技術をちゃんと教えて、そのための対策を練ればいい。そういった明確な目的があった上で生徒とも付き合える。実際、みんな僕みたいに美大にいっている人の話を、それとなく聞きたがる。」 


注文したレモンサワーが届くと、

イチはスライスされたレモンをストローでつついてから吸った。

レモンの爽快な酸味が口いっぱいに広がった。 


「要するに、属性が近いっていうのかな?」 

「でも、美術部に来る生徒だってそうでしょう。」 

「まぁ、そうなんですけどね。ただ、予備校と学校だとやはり違います。だって、予備校の場合だと、美大に受かる受かんないの心配はありますけど、そのほかのことはそれほど気にしないんです。でも、学校は違います。学校の美術部は、美大を目指すためにあるわけではない。なんとなく、わかるでしょう。」 

「まぁ・・・。」

 「美術部の学生は、なんとなく、きちゃったって感じの子が多いんです。別に、絵を描いていこうなんて子はそんなにいない。そんな僕も、なんとなく、流れ着いて先生になっちゃったという具合でしかなくて。なんとなく居ついたもの同士、意気投合するってこともあるんですけど、そうでないときもある。今はなんか、とにかく、どうしていいんだか、わかりません。」 

「結局、生徒たちのあふれてくるものをどう受け止めていいかわからないってことですよね。ふわふわしたいい方ですけど。」 

「まぁ、そうですね。僕には荷が重い。」

 「ハセベさんも、子供ね。」 

「そうなんです。」 

「はい。ビール。」  


イチは新たに届いた瓶ビールをグラスに注いだ。


 「ありがとう。」  


あふれる泡をこぼすまいとして、長谷部はグラスに口を当てた。   



作  せいけん

絵  鈴吉


からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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