宮崎要輔の裏庭力。 (記事作成 青剣)


皆さま こんにちは。 


からだ部部長の青剣です。 


からだ部は、 

「からだのことはよくわかりません。」 がスローガンのため、

たま〜にからだを探求している方に会いにゆくことにしています。 


今回は、 

京都を拠点に方々で活動されている、 

宮崎要輔さんのクリエイティブトレーニングを観察してきました。  


本日見る選手はボクシング日本チャンピオンの久田選手になります。 


 ❇ 私なりの視点と、 感性と気分に委ねて、 ちゃんとまとまらないように作成しました。 




 ○ 日時:2018年5月28日(月曜日) 10:00〜12:00  場所:大阪・堺市の公園 


(i-Pod proを手にした宮崎要輔氏) 


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宮崎要輔 (Miyazaki Yousuke) プロフィール



トレーニングクリエイター 。

踵なし一本歯下駄「一本歯下駄GETTA」考案者。

社会起業家コンテストedge2011fi 2011ファイナリストでもありスポーツとソーシャルビジネスの両輪を軸に活動。


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日本チャンピオンの久田選手が来訪すると、 

気をつかって私のことを紹介してくれたのち、 

早速、二人のトレーニングが開始します。 





宮崎さんのワークをぼんやり眺めていて感じたこと。 


少し奇妙な比喩になりますが、 二人してゆったりと舟を漕いでるような、 とてもリラックスした時間が生まれている印象を受けました。  


程よい対話のやりとりの中で、 不必要な緊張と力をゆるめてゆき、 その場その場で「今」必要なからだの声に耳をすませて、 直感でプログラムを組み立てているように感じました。  


(あくまで私の見方ですが、おそらくいくつもの無数のプログラメニューがあり、その日の選手の様子と天候とおしゃべりの中から調整しているのだと思います) 


シンクロ率が高まるやりとりを眺めていると、 全身スポーツウェアの男性がその場にやってきます。

 

最初、 同じく選手なのかと思いましたが、 どうやら久田選手のボディコンディショニングトレーナーであり、 近所で整骨院を経緯している方だそうです。 

かなり真剣に見守ります。 

続いて、 立ち上がっての、 フィジカルメニューに移ります。  

ここからは、 宮崎要輔さんが提案する一本下駄を、 久田選手が履いて行います。 





 (とても印象的だったのは、宮崎さんが久田選手の胸骨を所々でピンポイントで抑えているところでした) 


 適宜、 休憩を入れて、 からだの気づきを言葉で共有することを繰り返します。 



 






 近くの白い花の蜜を吸いにきたカナブンです。 

(なぜか、私はそれを撮影しておりました。) 







 私が意識をあらぬ方に向けている間プログラムを見守る人がまた一人増えています。

 

後々、話を聞いて知ったのは、腸内細菌からからだを改善してゆく研究をしている方でした。  

同じように、 久田選手を食事の面からサポートしてゆくために、 こちらにきているそうです。 



 抑圧ジャンプ 



私が勝手にその場で「抑圧ジャンプ」と名前をつけました。 

こちらのプログラムはいいなと思いました。  


わたしが主催する【からだ部】ではだらくすることを良しとしているところがあります。 

なぜなら日頃の生活の中で、人間の身体は緊張やストレスを強いられているため、完全に脱力してゆるめてあげる必要があるからです。 

ただ、 それはそれでいいけど、 たまには活力を与えたい。 

そんなわけで、 ちょっとした負荷を与えて、 拮抗する力の反作用で、心地よく凝縮してゆく力をからだの内に生み出したいなと、こちらを見て思いました。  

そういった内なる力は、 日々を能動的にアクティブにのりきる、 大切な活力になります。 

ちょい、私なり応用して、からだ部で使えるプログラムを考案しようと思いました。

余談ですが。  


一通りのプログラムを実施してから、 

ちょこちょこシャドウボクシングを行い、 

変化や状態のチェックをこまめに行って行きます。 





 バランスを意識せざるを得ないワーク



両腕をバタフライのように回しながら骨盤を立たせたまま行う屈伸運動。  


こちらを見たとき「ダンス的な」ワークだと感じました。  


一本下駄の位置が、 五本の指の付け根(ほぼバレエのルルベ)にあるため、 必然的にからだの内側を意識しないとバランスをキープできない状況下におかれます。  


バランスを崩すとき、 それをカバーして、 体の他の部位を硬直させて緊張させます。 


ダンスにおいてバランスはフィジカル面での命になります。


舞台では、 緊張の糸が切れる瞬間であり、 リングの上でのボクサーにとってはスキを与えるものではないか、 そんなことを勝手に思いながら観察しました。 


そのようなバランスを意識をしたプログラムを盛り込んでいるところに、 枠を超えてゆこうとする慧眼を感じました。 


ちなみにボクシングがグローブをはめている格闘技であることから考えると、単なる殴り合いの殺し合いではなく、そこにはある種のルール以上に可視化にしにくい法則性があることを気づくきっかけを得ました。


その法則性や、 常に更新を繰り返してゆく世界に、 身を委ねて気づいてゆくことが大切ではないか。  

(そんなことを思いました)


 その後も、 様々なワークが続きます。 


 (ハミングするような声だしをして腰を振る謎のワークも)




全てのプログラムを経ると、 

ちょっとした仮眠から目が覚めてゆくような具合に、 

自然と心地の良い空気に包まれて終わります。 






 まとめないまとめ  


実は、 この日の取材の前日、 私たちは「身体を使って書くクリエイティブライティング講座」というワークショップを京都の真福寺というお寺さんで開催しました。 私が取材をする前に、 事前にわたしが行うからだのプログラムを、 宮崎さんに観察してもらうことになりました。 



そしてその夜、 からだをベースに、 スポーツ、ダンス、意識、日本社会、書くこと、イマジネーション、世界レベル、気づくこと、他さまざまな単語を散りばめながら色々と語り合うことになりました。 


 ✳ 


正直にいうと、 わたしは「スポーツ」というものに、 今ではあまり関心を抱くことがありませんでした。


(いろんなスポーツをやってはきたのですが)


その理由は、 日本社会におけるスポーツが、 二つの理由で窒息している感じを受けていたからです。


 一つは、戦後のGHQ政策によって概念化されたスリーエス(3S)です。 スリーエスとは、セックス、スポーツ、スクリーン(映画)の三つをさします。 これらは全て、高度経済成長を支える人々のストレス発散型大衆消費社会を、形作る大きな様子となります。つまり、あくせく働いて、そのストレスをその三つで発散させます。

スポーツがその三つのうちの一押し込められていました。 

その結果、日本は文化的なものの水準と芸術的な可能性を、見事に喪失してきました。 

からだの内なる喜びに目覚めた本質的な人は、消費活動を促すために作られた娯楽では、何も感じないとわたしは思います。 

からだの渇きはそのようなものでは潤せないのではないでしょうか? 


二つ目の理由は、戦後教育の中でのスポーツは、規律や法令遵守を強める画一化の体育として、人のからだを国の目に見えない施策の中に押し入れてきたことです。 

気づいていない人たちはからだの声に耳をすませるすべを失っているのだと思います。

注意、注意。 


このような二つの理由から、 スポーツは心とからだの関係を断ち切られるような状況下におかれ、 単なる運動としての側面ばかりに注目されてきたようにわたしは思っております。 


ダンスと出会ったとある中年の人が、 スポーツジムでランニングマシーンで走っても、 全然満足できないという感想をもらしていましたが、 それはつまり運動だけのスポーツには満たされないことを如実に言い表しているのだと思います。 


 ✳ 


話をその日の夜に戻します。

 

宮崎要輔さんと話すと彼はスポーツをもっと大きなビジョンで捉えていました。  


頭と心が繋がった状態の「からだ」であることは当然。(からだ部の大切するからだ観になります)  


さらには、その入れ物としての「からだ」に、天の声をキャッチする方法を模索していることがわかりました。  


宮崎さんは、各々のスポーツ選手のからだ(身体ではなく)に耳をすませ、 さらには世界が今最も求めている各分野でのスポーツ選手のビジョンをつかもうとしていることを語ってくれました。 


つまり、日本社会の中で疲弊したスポーツとは、完全に別もののスポーツ観になります。


内なる身体の意識と世界の求める意識の接続は、 からだの内にある本質的な可能性を引き出し、 そしてそれは人々の歴史に刻まれるような瞬間を生み出すものです。  


今のスポーツが、本来のスポーツとしての力を取り戻して、さらなる高みへとスポーツの道筋を築いてゆく上で必要不可欠な意識になります。  


実は、人々を最も感動させるのは世界記録を作るよりも、その人にしかできない道を全うして燃え尽きた瞬間にしかないという私感があります。


それはつまり、芸術であり、ダンス的なからだの爆発になります。 


ちなみに少し話代わりますが、わたしは、宮崎さんが年に一度開催する、 トップアスリートの集いという勉強会に注目していました。  


トップアスリートたちと宮崎さんだけの集いなら、 「宮崎さん頑張っているな〜。」程度で終わりだったのですが、 なぜかその集まりに日本で唯一ブノワ賞を受賞したダンサーの木田真理子さんが参加していたことに驚きました。 



(宮崎要輔さんが主催するトップアスリートたちのからだを探求する勉強交流会です)




宮崎さんの意識が、 世界的なダンサーまでをも、 結集させてしまうのはなんなのか。。。  


そこでわたしは、 宮崎要輔さんのトレーニングには(宮崎要輔そのもの)「裏庭力」というものが潜んでいることを発見しました。  


もちろん造語製造マシーンを標榜するわたしが勝手に名付けた言葉になります。


なぜ、「裏庭力」なのかについて、書いて終わりにしましょう。 


古来から今に至る日本人は、 大いなる自然を自分の世界へと凝縮させ、 結実させることに長けた美徳感を備えています。 

それを具現化するものとして庭がその代表例としてあります。  

庭はもとより、自分なりの唯一無二の宇宙を、そこに息づかせるものです。  

そして、彼らはそこに憩いを求め、無意識に自分たちの内なる力を蘇生させてきました。 

さらに、日本ではお盆にご先祖様をお迎えする入り口は、正面玄関ではなくなんとなく庭や縁側からになります。 

庭の見える縁側に、ナスとキュウリでかたどったお供え物をおくほうが、正面玄関よりも感覚的に落ち着くのではないでしょうか。 

つまり、ご先祖様の召喚を、日本人たちはお庭を介して行なっています。  

ご先祖様というのは霊感を備えたインスピレーションそのものです。 

それらを招くことが、 先々を生きる上で必要とされる、 直感力を備えることにもつながります。 

宮崎さんと久田選手のトレーニング場所の公園は、 四方八方からあらゆるインスピレーションを呼び込むに相応しい、 ひらけた場ではないかと感じておりました。  

遠くで子供達が遊び、 そばを近隣のおばさんたちが自転車で通り、 カナブンが近くの白い花の蜜を吸いにくることも、 そして分野別に色々な人が集うプロセスはまさ多様なものを一堂に会する裏庭としての場の力を備えています。 

裏庭とは、裏道という最も深遠な道を歩んだものたちを繋げる場であり、単なるお庭ではありません。 


 (一般的な庭はその所有者だけのお庭で開かれておりません。)  


もっと厳密に言えば、裏庭力とは、場所と時を選ばずに、その人を起点に多様なつながりをそれとなく引き寄せてしまうものです。 


運命に身を委ね、偶然性と戯れる中で、ぽかんと生まれるものです。 


長くなりました。 


書くの疲れたのでまとめずに終わります。   


                             からだ部 部長 青剣 





写真は、真福寺の住職の満林さんと宮崎氏がからだの話をし、作家の小野美由紀さんが朝食を食べ、変な人のわたしが縁側で写真を撮ったものになります。

思えば2011年の東日本大震災の年に、美由紀さんを介して宮崎さんには鴨川でお会いして以来の約6年ぶりの邂逅になります。

皆さんの成長ぶりが羨ましいです、ほんま。


宮崎要輔さんが考案する一本下駄の公式サイトです。




    

からだ部

からだ部とは、「からだを感じる」をコンセプトに、部員たちがモノをつくり発信する部活道である。 主な活動は、 1)メディア 2)ワークショップ 3)企画 の三つになります。

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